WEBマガジン『幸』Vol.24 特別号(2019年2月)より抜粋
明治天皇、有栖川宮家の
喜久子ご令嬢殿下のお着物を今に再現
有栖川宮家と京都・圓福寺のゆかりを温ねて
無形・有形文化を後世に伝えるために

圓福寺の伽藍の最も西側に、東京から移築したと伝わる有栖川宮家の旧御殿と「臥龍庵」という二層の楼閣が並んで建っています。今から4年前、この「臥龍庵」の修復工事を進めていく中で、長らく開けられることのなかった収蔵棚から明治天皇の浴衣や有栖川宮家ゆかりの装束、御着物、書画や調度などが次々と出てまいりました。どれも埃が積もっており保存状態は最悪で、風化・劣化がかなり進んでいます。軸箱や調度品などは埃を払えばそれで済むことですが、着物については全く手の施しようがありません。思い切って、かねてよりご縁をいただいている株式会社ハッピーの橋本社長に相談したところ、「なんとかしましょう」という心強いお言葉を得て、さらに有栖川宮家と圓福寺にまつわる記録を「幸―特別号―」にまとめていただくこととなりました。
仏法を守り伝えていくのは勿論、このように無形・有形の文化的価値のある財産を修復再生して寺宝として後世に引き継いでいくこともまた、住持の大切な役割であると考えております。この度のご協力に対し厚く御礼申し上げます。
師家 政道徳門
長年、手つかずのままに置かれていた書画等の文化財とともに見つかった着物の数々は、禅宗の修行道場に不釣り合いなほどの煌びやかさ。金糸を用いた刺繍が贅沢に施されている。
(左)淡い桃色の絽の着物には艶やかな刺繍が施されている。肩上げがされた女児のもので、喜久子殿下が幼い頃にお召しになったものか。
(右上)有栖川宮家の「三つ寄せ 横見菊」や徳川家の「丸に三つ葉葵」の家紋が入った着物も。徳川家の家紋は有栖川宮威仁親王の次女・實枝子女王が徳川家に嫁いだことに由来。着物の持ち主は實枝子女王または、その息女でのちに高松宮宣仁親王妃となった喜久子殿下と考えられる。
(右下)畳紙に包まれていたものや、そうでないものもあり、どのような経緯で寺に残されたかは伝わっていない。
圓福寺と有栖川宮家とのご縁
圓福寺は臨済宗最初の専門道場で、多くの雲水が日夜坐禅や托鉢などの修行を行う洛南の一大道場です。天明3年(1783)の創建以来、歴代の住持は孜々汲々としてこの道場を護持してまいりました。明治41年(1908)には圓福寺14世であった見性宗般老師(1848〜1922)が大徳寺派管長に就任、有栖川宮威仁親王(1862〜1913)と親しく交流し、親王の帰依を受けました。そのご縁から、圓福寺には有栖川宮家ゆかりの品々が今も残されています。
威仁親王は刀剣に造詣があり、神戸・舞子の別邸に鍛錬道場「如神殿」を設けるとともに、刀工・桜井正次(1868〜1950)を招来、自らも刀を鍛えられました。宗般老師は、説法や刀剣の入魂のためにしばしば舞子別邸へ参上したようで、殿下薨去ののちは、御遺言により東京三年町にあった有栖川宮家本邸の御座所と舞子の鍛錬道場が圓福寺に下賜されました。また、このときに威仁親王妃慰子殿下からも殿下ご生前の御自筆になる大額や刀剣等が寄贈されています。
有栖川威仁親王妃慰子殿下と次女・實枝子女王が、圓福寺を訪れた様子が写真に残されている。上の写真では参道から直接「臥龍庵」のある方へ向かっている。
明治天皇・有栖川宮家の「着物」の遺品をケアメンテする

今回のご依頼品は100年ほどの眠りから覚めた貴重な明治天皇・有栖川宮家の遺品です。大量の塵や埃を吸い込み、汚れが繊維の奥まで入り込んで、繊維が風化するほど劣化・変性(たんぱく質を構成する分子間の結合形成が湿気や熱によって分解した状態・加水分解)しており、これまで数多くの修復再生が難しい衣服を手がけてきたケアメンテの技術者も頭を抱えるほどの状態でした。そのため、作業にあたっては、着物を解くことなく一点一点、部分部分の状態を厳しく見極めながら、生地や染料、刺繍への影響を最小限に留める慎重な判断と技が求められました。新品のようにするのではなく、新たな洗浄技術の開発と染色技術の考案によって「着古し感と時代感」の表現を深化させました。
ここではその一部の作業状況を、ビフォーアフターの画像とともにご紹介します。
明治天皇・有栖川宮家の文化財的「着物」を今に蘇らせる「ハッピーケアメンテ」
ハッピーのケアメンテの技術は、京都に古くから伝わる京友禅の技術をヒントに誕生しました。和服のモノづくりを洋服の再生産に生かし、洋服で培ってきた再生産技術を和服に応用する――。古くなって捨てられる運命の衣服を新品のように蘇らせ、また、新しい衣服を新しい状態のままで、いつまでも長く新品気分を味わってもらえるようにすることが私たちのミッションです。
そのような想いのもと、人に優しく、地球環境を大切にした仕事スタイルを貫いているのが、「ハッピーケアメンテ=再生産サービス」です。
この度、圓福寺・臥龍庵に伝わる明治天皇、有栖川宮家の文化財的価値のある着物を、ハッピーケアメンテが独自に創りあげてきた技術で今に蘇らせることができ、なによりもハッピーです。
ただ、残念なことに、あまりにも劣化が激しく風化・変性している部分が随所にあり、手を付けられない状態のモノ、これ以上手を加えると元のカタチがなくなってしまう恐れがあるものもありました。そのため、残念ながら途中で作業をやめざるを得なかった箇所もあります。
しかしながら、保存状態の検査や修復再生の工程と方法の構築、準備期間も含めて約3年近くかけ、ケアメンテ技術を存分に生かし、お堂に眠っていた価値ある着物を皆さまにご覧いただける状態にできたことは、私たち「ハッピー」の誇りです。
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